60年前の今日、日本は大戦に負けた。
戦後に生まれ、戦争について何も記憶のない僕は何を思うか。
戦争はいけない事だと知っている。
しかし、世界で戦争は実際には起きている。
平和は大切な事だと知っている。
しかし、愛や平和を歌っても平和はやってきていない。
60年前の今日、ラジオが流れた。
いわゆる玉音放送である。
「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲に忠良なる爾臣民に告ぐ。」
という1文から始まるものである。
この全文の内容を知っているだろうか??
この内容を現代語で翻訳したものを以下で載せたいと思う。
「私は深く世界の大勢と日本の現状について考え、非常の手段によってこの事態を収拾しようと思い、忠義で善良な国民に通告する。
私は日本政府に米国、英国、中国、ソ連に対してポツダム宣言を受け入れることを通告させた。
そもそも日本国民の安全を確保し世界の国々とともに栄えることを喜びとすることは、先祖から行ってきたことであって、私もそのように努力してきた。
先に、米国・英国に宣戦布告した理由も、日本の政治的・経済的自立と東亜の安定を願ってのものであって、
他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の意志ではない。
しかしながら、四年間の戦争で、われわれ陸海軍将兵の勇敢な戦闘や、官僚・公務員の勤勉、一億国民の努力、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、
戦争における状況は芳しくなく、世界の情勢も我々には不利に働いている。それだけではない。
敵は、新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、何の罪もない非戦闘員を多く殺傷し、その被害はまったく図り知れない。
それでもなお戦争を継続すれば、最終的には日本民族の滅亡を招き、
そうして人類文明も破壊されることになってしまうだろう。
このような事態になったとしたら、私はどうしてわが子とも言える多くの国民を保ち、先祖の霊に謝罪することができるだろうか。
これこそが政府にポツダム宣言に応じるよう命令した理由である。
私は日本とともに終始、東亜の植民地解放に協力した友好国に対して、遺憾の意を表せざるを得ない。
日本国民で戦場で没し、職場で殉職し、悲惨な最期を遂げた者、またその遺族のことを考えると体中が引き裂かれる思いがする。
さらに戦場で負傷し、戦禍にあい、家や職場を失った者の厚生については、私が深く心配するところである。
思うに、これから日本の受けるであろう苦難は、いうまでもなく大変なものになる。
国民の負けたくないという気持ちも私はよく知っている。
しかし、私はこれから耐え難いことを耐え、忍び難いことを忍んで将来のために平和を実現しようと思う。
私は、ここに国体(天皇制)を守り通して、忠義で善良な国民の真心を信頼し、いつも国民とともにある。
もし、感情的になって争い事をしたり、国民同士がいがみあって、国家を混乱に陥らせて世界から信用を失うようになることを私は強く懸念している。
国民よ、どうか団結して子孫ともども固く、神国日本の不滅を信じ、道は遠いが責任の重大さを自覚し、
総力を将来の建設のために傾け、道義心や志操を固くして、日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように努力しなければならない。
あなた方国民はどうか私の気持ちを酌んで理解してほしい。
天皇の署名と印璽(ぎょめいぎょじ)
昭和二十年八月十四日 」
これを読んでどう思うかは個人個人異なるだろう。
ただ、この文章が60年前の今日ラジオから流れたという事は事実である。
これから日本は、(建前上)武力を持たない国として世界に平和を訴える国となるのか。
それとも、他の先進国のように自ら武装し、その地位を確立していくのだろうか。
これから日本がどのような国になるかは、僕らの1つ1つの判断にかかっていると思う。
これはなにも大袈裟に言っていることではない。
いきなり独裁者が現れて、日本を牽引していくという事はない。
あのナチスも正当に選挙を経る事で権力を持つに至ったことを考えれば、そのことは容易に想像がつくだろう。
つまり、我々の判断がこれからの日本を方向付けて行くのである。
その結果に対して、「我々世代は戦争を知らないから」という言い訳は通じないのである。
誰かが勝手にやってくれるのではない。
自分が知らないうちにある事柄が決定されていたとしても、
知らなかった、では済まされないのである。
無関心も1つの意見表明の態度であるからだ。
確かに、60年前日本は戦争に負けた。
しかし、60年という事は暦が1回りしたのである。
ある意味、昔のことは忘れるというわけではないが、
昔のことをもちろん踏まえながら、
ある意味1段落して、
我々はこれからの日本の方向を決定すべきであるのではないか。
ある人物がこう言っていた。
「国民のみなさん、プライドを持って下さい。卑屈になってはいけません。
日本は二千数百年の歴史を持ち、高い文化水準と優れた伝統を持つ独立国です、
敗戦を体験しても、そこから這い上がり、奇蹟といわれる復興を成し遂げました。
今こそ、胸を張らねばなりません。
思い出して下さい、一九四五年の五月から八月十五日まで、日本は一国で全世界を相手に戦い抜いたのです、そして日本は世界で唯一つの、核戦争を生き抜いた国なのです、
第二次世界大戦後の経済戦争で、超大国アメリカを打ち負かした国です、
日本は、米ソの世界共同管理などという気違いじみたシステムを打ち破る、尖兵とならねばならないのです、
わたしは、その戦いに微力を尽くそうと考えるものであります」
といっていた。
ある意味過激な事も言っているが、今の我々世代なら、
この発言の本質は分からない事もないのではないだろうか。
これからの日本を他国が羨むような平和な国にするか、軍事国家になるか、
それは我々の決断が大切であり、決してその影響が小さくないという事は確かであると思う。
平和な国になれば、このまま世界的発言力の小さい国のままかもしれない。
軍事国家になれば、子供たちの世代は僕らの決断のせいで必ず軍隊に入らなければならなくなるかもしれない。
こんな簡単な問題だけではないが、少し例を挙げただけでも、僕らの決断が大きいことは明らかである。
日本にとって本当に何が良いのか。
個人個人が考える事が大切なのである。
戦後から60年。
今日がこれからの日本を考えるための1つの契機であることは間違いない。