先日、今年を表す一文字が発表された。
「命」
だそうだ。
その理由は
こちらにある。
さて、そこで、日本の政治のトップである安倍総理についてである。
自らにとっての2006年の一文字を聞かれ彼がなんと知っているだろうか??
彼はこう答えた。
「今年は、私にとって『変化』の年でした。 」
・・。
記者絶句。
そこでもう一度同じ質問をする。
記者:「一文字にすると?」
総理「それは『責任』ですかね」
・・。
彼は恥ずかしげもなく、2度も一文字を一言と勘違いして答えたのである。
これが国語の試験なら完璧0点である。
2問中2問とも間違えである。子供たちは思うだろう。
「そんなお前が、教育基本法改正とか言うなよ。」と。
親はなんと説明するのだろうか??
子供:「ねぇねぇ、アベ首相は、なんで一文字で答える所を2文字で答えちゃったんだろう??」
親 :「首相はお忙しいから、お間違いになったのよ。」
子供:「じゃあ、忙しい人なら、たとえ間違えてもテストは100点にしてもらえるんだぁ。」
親 :「・・・。」
子供は大人を見ていると言うことを忘れてはいけないと思う。
子供たちの質問はさらに続く。
子供:「ねぇねぇ、いま日本でサッカーの世界一を決める大会をやってるんでしょ?すごいなぁ。」
親 :「そうね、トヨタカップっていうんだよ。」
子供:「へぇ、でも何で、世界一を決める大会に、一度引退した岩本輝雄って言う選手が出ているの??」
親 :「・・。」
子供:「世界一を決める大会なのに、そんな選手が出ても大丈夫なの?」
親 :「岩本選手は上手いから大丈夫なんだよ。」
子供:「へぇ、じゃあ、この前のワールドカップにもサッカー自体を引退した選手も出てたんだぁ?」
親 :「・・・。」
子供:「しかも、岩本選手って、タバコとか吸っているんだよね?そんな選手が世界一を決める大会に出場できるんだ!!タバコって体にいい物なんだね!!」
親 :「・・・。」
皆さんなら、この子供からの質問にどのように答えるだろうか??
僕は彼の出場は、命を懸けてそれぞれの大陸のトーナメントを勝ち上がってきたチームに失礼な行為だと思っている。
なぜ彼がトヨタカップに出るようになったのか、その経緯は知らないが、彼の出場はトヨタカップという大会そのものの品位や意義や価値を低下させるものであると思う。
世界一を決める大会。
その大会に一度サッカーをやめて2年ぶりにサッカーをやる人間が出場できるほど甘い大会でもないし、そのような大会に勝ってもまったく価値はないという事に気づくべきである。
想像してみてほしいと思う。
この前のワールドカップで、日本はこの前と同じメンバーで、他ののチームはすべてOBのチームが出たとしよう。
その大会で日本が優勝してもうれしいだろうか?
やはり、トップレベルのチーム同士が戦うからこそ、尊敬されるタイトルなのであり、意義のあるタイトルなのだと思う。
このような現象は極めて危険であると僕は思う。
同じような事は、野球についてもいえることなのである。
最近、松坂が移籍したが、そこでもまた議論になっていることがある。
これは時代錯誤の人々が言う言葉であるが、
「日本の野球はアメリカの植民地になってしまう。」
という、よく分からない発言・議論である。
スター選手がメジャーに行くと、日本にはスター選手がいなくなってしまうと言う、ひとつの危機感からくる発言なのであろうが、
この発言は間違いであると思う。
スター選手がアメリカに行ったら、また、スター選手を生み出せばよいのである。
そして、どんどんアメリカに行ってもらって、世界に日本と言う国をアピールしてもらえばよいのである。
これは、すばらしい日本への貢献であると思う。
これは植民地なのであろうか??
僕は違うと思う。
例えば、サッカーにおいてブラジルは世界中に選手を輩出している。
欧州はもちろん日本にもブラジル選手は多く在籍している。
サッカー界でブラジルは植民地と言われているだろうか??
答えは、当たり前だがNOである。
むしろ、ブラジルは多くのスター選手を生んでいることから、尊敬されているし、
ブラジル人自身も、選手が欧州などに行くことをネガティブに捉えていない。
むしろ、誇りに思っているだろう。
要は、これは野球界に根付いている忌まわしき思想なのである。
1人のスター選手におんぶに抱っこしてもらうことで発展すると考えている内向的な者が抱く、昔々の思想なのである。
これは、野球界がむかしから王・長嶋という選手に拘泥してきた歴史があり、その事から脱却できていないことに起因するのである。
以上2つの事柄に共通することは「甘え」なのである。
教育基本法を改正しただけでは日本の未来は輝かないし、
形式・小手先の変化で子供たちの目は輝かないと思う。