思うところを述べたいと思う。
ただし、彼の論文の是非については、話がそれるので今回は言及しないことにする。

今回の問題については非常にセンシティブな問題もかかわるが、
誤解を恐れず述べたいと思う。
田母神氏は非難されるべき点もあるが、
僕らはもう少し自衛隊の方々に敬意を表しなければならないのではないか。
自戒も込めてそう思う。
1、田母神氏の間違い
まず、田母神氏が会見で
「村山談話について一言も反論できないなら、言論の自由が無く北朝鮮と同じだ。」
なる趣旨の発言をしていた。
これについて、言論統制などと田母神氏に賛同している人もいるみたいだが、
これは田母神氏の間違いであり、彼の認識不足である。
なぜなら、まず、言論統制とは、マスメディアや我々一般国民が言いたい事を云えなくなるということなのであるからである。
次に、特に国家機密の保護のためや政治的中立性の維持のために、公務員はある程度言論の制約を受けざるを得ないのである。
日本国憲法が保障している種々の人権は、一般国民に対して保障しているのものであり、国家権力側の人間に対するものではない。
これは、日本国憲法が立憲主義的(国家権力は憲法によって拘束されるべき、という考え方)なものであるからである。
その証拠に、例えば日本国憲法第99条(憲法尊重擁護の義務)を見ると
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」
と規定されており、憲法尊重擁護の義務の主体として国民の文字は規定されていないのである。
つまり、そもそも憲法が人権を保障しているのは、一般国民に対してという、大原則がある。
よって、航空幕僚長を辞めて一般国民となった今なら田母神氏は好きな事が言えるのである(もちろん、自衛隊法による別途制約規定があるため、本当に好きな事を言えるわけではない)。
しかしながら、特に航空幕僚長という立場にいる当時に好き勝手な事を言うのはマズいのである。
もちろん、公務員にも人権は保障されている。
しかし、人権はあるが、立場や職務によって、ある程度制限されるモノなのである。
例えば、一般国民には日本国憲法第28条によって労働基本権(ストライキができますよという権利等)が保障されているので、
労働者はやろうと思えばストライキができるのである。
しかし、自衛官、警察官や消防官には労働基本権が制限されており、
彼らはどんなに今の境遇に不満でもストライキはできないのである。
それは、火事が起こっているのに、
消防士が「ストしますんで、火は各自で消してください」
なんて言われたら多くの人が困るからなのである。
要は、職業柄、憲法の人権が制限されているということである。
もちろん、公務員や航空幕僚長だからという理由で
どの程度まで言論の自由が制約されるかは議論の余地はあるが、
文民統制という制度がある以上、
自衛隊員は政府見解に反することを言うべきではないと考える。
村山談話が嫌なら、政府が政府見解を変えるべきなのである。
少し長くなったが、要は田母神氏は航空自衛隊のトップという立場にいた人なので、
その立場上、ある程度言論の自由は制限されてしかるべきなのである。
よって、航空幕僚長の言論が一定程度制限されたからと言って
言論統制でも、北朝鮮でもないのである。
もう一度言うが、本当に怖い言論統制とは、マスメディアや我々一般国民が言いたい事を云えなくなるということなのである。
2、自衛隊について
皆さんは、日常生活において、自衛隊について考えたりしているだろうか??
普段から考えている方はこれ以上読まれなくても構いません。
しかし、普段、自衛隊の「自」の字も考えない方々も多いと思う。
では、なぜ考えないのだろうか??
それは、あまりメディアでも触れられないし、
触れられるのは被災時の救出活動とか、あとはマイナスのニュースの時だけとか、
あまりこんな活動している等の情報が少ないからか。
しかし、彼らは命がけで僕らの日本を守っている方々なのであり、
いざという時には、真っ先に矢面に立つ方々なのである。
それなのにもかかわらず、我々はそこまで自衛隊について考えていないし、
彼らにリスペクトを日頃からしている人が多いとは思えない。
もちろん、個人的には戦争なんかすべきではないと思っているし、
憲法9条を改正して、自衛隊を軍隊にすべきか否かは慎重に考えなければならないと考えている。
軍隊にすれば、徴兵されるのは我々世代ではなく、今の子どもたちであるからである。
選挙権のない彼らに大きな影響が及ぶことであるから、
慎重に考えなければならないと思っている。
話を戻そう。
なぜ彼らを尊敬すべきか?
それは、命をかけて日本を守っているからである。
しかも、日々日本のために体を鍛え抜き、
本番はないといわれているにもかかわらず、
本番を想定して訓練しているという
ある種の矛盾や空虚さを抱いている存在なのである。
この空虚さを女子アナウンサーで例えてみよう。
彼女は大学ではミス○○大学になり、
テレビ局にアナウンサーとして就職も決まった。
順風満帆である。
しかし、入社早々彼女は言われるのである。
「君はテレビに一生出れないから。
でも本番をやるつもりのテンションでニュースの原稿を読む練習や取材はしなさい。
でも、本番で原稿を読むこともないし、テレビに映ることはないから。」
もし、このアナウンサーの立場があなたなら、
モチベーションを維持して一生懸命練習をしますか??
決して本番はないのである。
あるのは練習だけ。
こんな状況にあるのが今の自衛隊である。
それにもかかわらず日々研鑽を重ねている。
それだけで私は彼らに尊敬の念を抱かずにはいられない。
良く自衛隊をなくそうと主張する人たちもいるが、
これは現実的ではないと思う。
自衛隊を鍵に例えると、泥棒が入ってこないように我々は家に鍵をする。
自衛隊すらいらないという人たちは、家に鍵を付けずに外出したり、睡眠をとっているのだろうか??
おそらく、そんなことはなく、ガッチリ鍵を2個くらいかけているし、
なんならセコムまでしている人もいるかもしれない。
また、アメリカ軍がいるから自衛隊はいらないという人たちもいるが、
それもまた間違いであると思う。
本当に命がけで我々を守ってくれるのか分からない方々に
自分たちの命を守ってもらおうというのは健全ではない。
断わっておくが、私の身内には自衛隊員はいないし、
自衛隊を軍隊にすべきだとか、そんな事を言いたいのではない。
我々が当たり前のように朝起きて、夜寝れるのは、
日本が平和だからであり、
その平和を維持するために働いているのは自衛隊なのであるという点に
もう少しでいいから、われわれは注目し、彼らに尊敬の念を抱くべきではないのだろうかと思っているのである。
諸外国から日本は金を出すだけだといわれても、それで平和なら構わない。
外交でうまく日本の平和が保たれるのなら、それでかまわない。
平和になるなら自衛隊すらなくなっても構わない。
しかし、自衛隊という組織がある現状において、
日々自衛のために活動している彼らに対して、
我々はもう少しでも良いから、
彼らのことを考え、
彼らに対して尊敬の念を抱くことが必要なのではないかと思う。